209回目の元気アップ禅の会は小石原森の家へ戻りまして、2015.3.15に開催されました。

小石原はまだ肌寒く、薪ストーブの温もりがありがたい一日でした。

禅の会開始前の森の家ランチも今月はメンチカツ・ポテトサラダ・白和え・豚汁と美味しくいただきました。

いつも、厨房で切り盛りしてくれている、重住さん、西川さん、そしてお手伝いの皆様、今月もありがとうございました。

さて、禅の会・・・

今回は、「悟り」についてのお話でした。

古賀的解釈ですので・・・浅いかも知れませんが・・・浅いと思いますが、ご了承下さいね。

悟りの段階を三段階に分けて解説して下さいました。

1、空の悟り:全ては空なんだから、なにをやってもOK。禅者では中途半端な悟りの状態だそうです。

古賀的には、あるがままでOK。自分探し。真理の追求セミナーなども、この段階のものが多いように感じました。

2、ひとついのちの悟り:ヒトの逆円錐モデルを知った位。大敬先生のお話の中、しあわせ通信にも登場する地上世界からみたいのちの形。
「観照の愛」と大敬先生は言われました。

古賀的には、覚者、達人、先駆者と呼ばれる方の多くはここに居られる様に思います。
本来、いのちはひとつであると言うことを修行や、感覚や、瞑想、体験などで知って居る悟りの段階。
ただ、その位置は、「観照の愛」だと言うことです。ひとついのちから、その位置からの愛なのです。観ている愛の段階。

3、ひとつのいのちの悟り:金平糖大作戦を知った位。人類の進化のゴールを、大敬先生のお話の中や、しあわせ通信では、金平糖大作戦として登場しています。人類の進化のあり様を知って「役割の自覚」「関わりの愛」を知った悟りの状態です。
お釈迦様やキリスト様もこのひとつのいのちの悟りを選択された方だとお話しされました。
この禅の会に参加されて居る方は、既に、2の悟りは前世で経験されて居る方なのかもしれませんね。と言うことも仰られていました。

古賀的には、以前から感覚として、ひとついのちの悟りをゴールとしたあり様に、その事を書いてある本や情報に違和感を感じて居たのです。
だから、この3の悟りの在り方にとても大きく納得出来るのです。
関わって生きていく事が人類進化のゴールへ向かう悟りの在り方なんですね。
関わって生きていくと言うことは凡人の選択でもあるわけです。
覚悟して生きていく事だと思います。

お釈迦様がひとついのちの悟りを知り、21日間悩まれ、そして、みんなのなかに戻り、授記を授ける覚悟をし、第一歩を踏み出した時、その瞬間に、お釈迦様は「仏」になった。

うーん。素晴らしいですね。それが今の私たちにつながっているわけです。

お釈迦様がひとついのちの位に留まらず、ひとつのいのちの位に一歩を踏み出した時、人類進化の幕開けでありゴールへ向かうスタートとあい成りました。

ひとつのいのちの悟りを大敬先生のお話の中では、
禅僧の南泉さんの教えを基に展開していかれました。

関わって生きていく事、関わりの愛、その覚悟、そして役割を果たすこと…

道はひとつ、我が道を行けば良い(^_−)−☆

また、私たちは、殺生をすることで生きている。
その覚悟で生まれて来て居るんですよと言うお話もありました。
動物、植物のイノチをいただいて生きて居ると言うことは、イノチを摘んで殺生をして生きて居ると言うこと。
それがどう言うことなのか…

私たちは覚悟して生きている・・・と、言う言葉が心にずんって入りました。

今回の禅の会でのお話は、今月のしあわせ通信にも詳しく書かれています。

間もなく皆様へお届けしますので楽しみにされてて下さいね!

いつもHPをのぞいて下さり、ありがとうございます♪